2011年11月15日

西郷どんの顔

モス!

歴史上の人物の中で最も惹かれるのが西郷隆盛である。
当時は写真撮影が行われ始め、かなり多くの著名人の写真が撮られて今それを見る事が出来るが、西郷どんに関しては現時点で唯の一枚も発見されていないし西郷どん自身写真撮影を毛嫌いしていたらしいので、元々そんなものは存在しないのかもしれない。反面、肖像画、銅像等は沢山有りそれぞれに特徴が有るものだから余計にフォーカスがぼやけてしまう。全く写真撮影の技術が無い時代なら諦めもつくが撮っている人が多い頃だけに惜しい気がします。 130年前だったら会えたかもしれない人・・・・諦めきれない感じですな。


これは日本でトップクラスに有名な高村光雲作、「上野の西郷像」しかし、ご夫人の糸子さん曰く「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ。」つまり似てないという事ですな。一般にはこの銅像でのイメージ強いよね。


これはお膝元、鹿児島市城山町「城山公園」に立つ安藤照作、「軍服姿の西郷像」西郷どんの親戚にも会い、よく似ているとお墨付きをもらったとのことです。


ポピュラーなキヨッソーネ作の肖像画。
教科書にはこれが載っていましたし、一般的にはこの肖像画が多く使用されていました。ただキヨッソーネは西郷どんと面識がなく、資料が無いので弟の西郷従道と従弟の大山巌をモデルに描かれたといいます。


肥後直熊筆「西郷隆盛像」
西郷の家の隣家に住み、幼少のころ西郷に可愛がられ、「直坊」と愛称され、膝の上で遊んだ肥後直熊が昭和2年(1927)の西郷没後50年祭の契機に、昔の思い出をもとに描いたもので真実の西郷に最もよく似ていると評価されているとのことです。


佐藤均 画 「西郷隆盛の肖像」
もと荘内藩士族の石川静正が、明治3年11月鹿児島に練兵修行に赴き8年4月にも再訪し、西郷の風容に接した。このときの印象をもとに年月をかけ隆盛の肖像を描いた。これを見た薩摩出の洋画の巨匠黒田清輝が、肖像画家として令名の高かった門弟佐藤均に勧め、苦心の上、大正2年に完成したのがこの肖像。隆盛夫人、遺子などの鑑定により、真に迫る一品といわれる。(「安藤英男『西郷隆盛』 学陽書房」より引用)/私もこの肖像画が一番好きです。


最近見かけて「これは!」と感じた牧田祥哉敬作の胸像。牧田祥哉は孫文記念館(マカオ)にある孫文の銅像の作者として知られる彫刻家らしい。キヨッソーネ作の肖像画と佐藤均 画「西郷隆盛の肖像」を程好く取り入れてしかも西郷どんの実像が垣間見れるかの様な造形ではないかと思いました。

他にも数多の肖像画や像が存在しますがとても紹介しきれません。写真が無いだけに想像、空想の余地も有るので本当はこのままで良いのかもしれませんね。